県道515号線通行止め区間
1月25日に探訪した津久井湖北岸の県道515号線通行止め区間の様子です。 神奈川県津久井土木事務所によると「この路線は、現在落石により途中津久井町三井の名手付近から相模湖町千木良の赤馬付近まで通行止めとなっておりますので、ご注意下さい。」とあります。
いつから通行止めになったかいろいろ調べて見ましたが情報は見つかりませんでした。 第1のゲート
ここはゲートの支柱右側を迂回して進みます。 第2のゲート
すぐに工事足場のパイプで組まれたゲートに達します。
現在間伐作業が行なわれているため(日曜日は工事は休み)余裕で自転車を中に持ち込めます。 ここから徒歩
土砂の堆積が厚くここで自転車を降りて徒歩で奥地に向かいます。工事の関係車両を通すため土砂をならし、車両の通った跡があります。 自転車走行可能
結構アスファルト面が露出していて自転車で走行可能でした。落石を抑える金網はもうメタボ状態に膨れてしまっています。 三井用水取入口跡
通行止めで誰も訪れるはずも無いのに案内板と湖岸に下りる足場が組まれていました。せっかくなので見学していきます。 取入口跡へ向かう足場
いつ取り付けられたものなのか?。信じて良いのか?。鉄板が朽ちてていて踏み抜かないか?おっかなびっくり降りていきます。 横浜市が建てた記念碑
湖岸近くまで降りてくると横浜市が建てた立派な碑がありました。この碑は裏書によると昭和12年に設置されたもの。
「ここは、明治20年に完成したわが国で初の近代式水道である横浜水道創設時の取水所跡です。
建設時は、道志川と相模川の合流する地点に2個の突堤で小湾口を設け、一日最大5,720㎥の水を鉄管2条で抽水井に導き、そこからポンプで沈澄池に揚水して、いました。
沈澄池からは、ずい道と導水管により自然流下で約44km離れた横浜市内の野毛山浄水場.に送水していたもので、明治30年には道志川の青山に移されたことにより廃止されました。
また、この取入所跡は、昭和60年5月に日本の近代水道発祥地の史跡として「近代水道百選」に選定されました。」 横浜市水道局看板より 用水取入口跡に残る赤レンガ
取水口はダム湖に水没しているらしく、ここに見られるのは沈殿池の遺構です。 再び足場を上り返して県道まで戻り先に進みます。ここから先はアスファルトが出ている部分はシングルトラック程度となり斜面側は土砂が覆っています。
唯一水音のしていた場所
小さな滝が流れ落ちていました。 首の折れた標識
何かが当たったのでしょうか。 沼本ダム
歩いてきた方向に沼本ダムの姿が見えました。
ダムの堤が見えないのは水没しているせい? 第3のゲート
道を完全にふさぎ通すまいとする意志を感じるゲートです。ここはアクロバティックに左ガードレール側をひらりとかわします。 最大の崩落現場
第3のゲートを過ぎると大きな岩が崩れている箇所がありました。ここが一番ひどい場所でした。しかしかなり人が歩いて踏み固められている感じがします。 第4のゲート
ここも道を完全にふさぎ通すまいとする意志を感じるゲートです。しかし、右側の脇がちょっと甘い。 不通区間終了
第4のゲートの隙間を潜り抜けて振り返るとこの先通行止め看板がありました。ここで通行止め区間が終了で赤馬側に抜けました。
赤馬側からの帰路は通勤時間帯モードの早足で戻りました。寄り道なしで通しで歩くと時間にして20分ほどでした。
道路は等高線に沿ってほぼ水平で急坂などはありません。もし通行可能ならアップダウンがあり交通量の多い国道413、412を走るよりずっと快適な道です。自歩道として整備されないでしょうか。
この季節は乾燥していて下草は枯れ、木々のも落葉しているので歩きやすかったですが、夏などは草と樹木が繁茂してこんなに手軽には通過できないと思われます。というかかこの道は通行止めです。雨の後など落石の危険もありますし遊歩道として整備するのも厳しそう。このまま廃道となるのでしょうか。
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コメント
ココがもし整備されたら、西部方面からの快適な帰還ルートになるでしょうね。
残念ながらその予定も無く廃道となるのでしょうが、それにしても突破されるとはツワモノですね。^^
投稿: 齋藤電鉄ryu | 2012年9月 6日 (木) 12時14分
もう3年半も前の話ですね。あれ以来津久井湖北岸は走っていません。怖いもの見たさだったのでしょう。
良いコースなのに残念です。
投稿: しいたけ | 2012年9月 6日 (木) 22時12分