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2009年8月 4日 (火)

運命の3分3秒間

7月22日(水) ツアー5日目

5:10起床。いよいよ皆既日食当日を迎えました。気になる空を見に今朝も陸上競技場のスタンドに立ちます。
P50_20090722_052842 昨日までと違う空が広がっています。
空全体に薄雲が広がり、低いところを黒い雲が流れていきます。風向きもこれまでの南風から西よりの風に変わりました。こういうときは天気予報外れてくれないのね。




P50_20090722_061036 僕達の参加したツアーは今日夜のフェリーで島を離れることになっています。太陽が丘運動公園の出発時刻などが張り出されていました。
そして使用したテントやベッドなどは持ち帰って良いと張り出されていました。僕は自転車旅用の小さいのがあるので必要ないし友人もその気では無いようでしたが後で指令が飛んだようです。

今日の朝バスで到着した人たちもいて、その人達は24日まで滞在します。着いたらすぐ皆既日食で、そのあと二日間過ごすのは辛そうです。僕達は日食を待つという目的があったので3日間のフリータイムは苦になりませんでした。
P50_20090722_065512 朝食配給の行列
ツアー客も勢ぞろいしたので朝食引き換えの行列が出来ました。ここまで来て行列かぁ。





P50_20090722_070128 テルテル坊主
祈りはある意味通じました。日食中雨は降りませんでした。






P50_20090722_084700 ハブ避けネット
テント村周囲はぐるりとハブ避けネットで取り囲まれて毒蛇の侵入を防いでいました。





日食観測はどこで見ても良いことになっています。路線バスを乗り継いで最北端の笠利岬まで行くことも可能なのですが渋滞が予想されます。帰りの荷物の発送受付が15時までだし、観測といっても我々は自分の目で見ることが目的なので3分で十分という考えから移動しないで運動公園の陸上競技場のスタンドで見ることにしました。
P50_20090722_093504 日食開始
【9:35】第1接触で部分食が始まりました。皆既まであと1時間20分ほど。太陽の上(時計の12時)の方向から欠け始めました。いよいよだなぁという期待と空に広がる薄雲への不安が入り混じります。



P50_20090722_094328日食めがねで観測中のしいたけ
相変わらず自転車に乗る格好をしています。服はこれしかないのか?
僕は持参したデジカメを海の写る方向に三脚で固定して皆既前後10分間ほどの風景を動画で残す考えです。



P50_20090722_094118 部分食開始頃の風景
最初の頃は影の出来るくらいの日差しがありました。

【10:00】雲が厚みを増して日食めがねを通した肉眼では輪郭がぼやけてしまいます。双眼鏡を通すと太陽が大きく欠けた姿が確認できます。


【10:30】太陽の位置は曇りガラスを通しているような感じで確認できます。明るさの変化はまだほとんど感じません。

【10:47】皆既10分前のアナウンスがあります。明らかに暗くなり始めました。西から北の空が黒くなっています。雨雲かと思ったのですが月の本影のようです。日食めがねでは雲による減光量が多すぎて何も見えません。

【10:52】皆既5分前のアナウンスがあります。太陽は雲を通してぼんやりと光っています。夕方くらいの明るさでしょうか。光が弱くなって風景の色が無くなった感じです。

【10:54】皆既1分前のアナウンス。1秒ごとにスーッと急速に光が失われていきます。会場からどよめきが起こり始めます。皆既食現象の仕組みは頭で分かっていますが目を通して感じる光の変化の速さに鳥肌が立ちそうです。
太陽は雲を通してまだ光っています。双眼鏡で覗くと線のように細った光の曲線が微かに見えたような気がしました。そして一瞬太陽が消えた・・と思ったら低い雲が通過中でした。

【10:55】再び光が見えた数秒後、ポツッと言う感じで光が消えました。皆既に入ったのです。あとはいくら双眼鏡で目を凝らしても黒い太陽は見えません。どこからかまばらな拍手が沸きました。晴れていれば大歓声なのでしょうがコロナやプロミネンスは見られず曇った夜のような空が広がっています。
皆既中は想像していた以上の空の暗さです。目が慣れてくると皆既帯の外側に当たる南の空からの光が低い雲を照らして幻想的です。
P50_20090722_105738_2 皆既食中の風景
皆既食帯の南限から15キロくらいしか離れていないので南の空(右方向)から漏れてくる光はかなり明るく感じました。一方北の空はどす黒く夜のような空でした。皆既帯中心付近では真っ暗になったのではないでしょうか。
もう一つ記憶に残っているのが皆既中に奄美空港に着陸した旅客機があったことです。乗っていた人はどんな気持ちだったのでしょう。
3分はあっという間です。次第に西の空が明るさを増してきます。月の影の西の端が近づいてきたのです。

【10:58】皆既終了10秒前のアナウンスがあると皆さん「エーッ!!」の反応。空を見上げていると暗く広がる空の高い場所に雲を通してパッと明かりがともったように太陽が戻りました。本当ならダイヤモンドリング瞬間なのですが・・・。とうとう皆既食が終わったのです。暗闇になれた目を通してグングン明るくそして風景の色が戻っていきます。太陽はまだ紐のような細さのはずなのにその光の強さを改めて感じます。

このあと12:22まで部分食が続きます。なんとも言えぬ脱力感を感じます。スタンドを後にしたのは11:20頃だったでしょうか。

P50_20090722_115958 まだ後半の部分食中なのに昼を食べに行ってしまう
皆既食が終わってしまうと我々眼視観測派はもう雲を通しての残りの部分食は捨てて昼食に向かいます。と言うのも帰りの準備を始めなければならないからです。荷物の発送受付が15時までなのでそれまでにテントを畳んで荷造りしてしまわなければなりません。


P50_20090722_142554 テント撤収後
僕達が4日間を過ごしたテントは同行した友人の奥さんの携帯メール指令により友人宅に発送される事となりました。強風が吹く中、収納説明書を見ながら四苦八苦して撤収します。サマーベッド2つは発送することの費用対効果を検討の結果ここに残置しました。


P50_20090722_144632 突然襲ってきたスコール
荷物の発送も終え夕方まで反対側の赤木名地区まで晩御飯でもというプランもありましたが突風と共に突然襲ってきたスコールにより中止。テントも無くなった僕たちは体育館の風通しの良い場所に避難して昼寝を楽しみます。今夜もテント泊の人たちはこの雨と風の中大変だったでしょう。
雨の上がった夕方、温水シャワー300円を浴びてさっぱりします。水着は荷物として発送してしまったため今日はプールには入れません。残念。

P50_20090722_212826 さらば太陽が丘
いよいよ4日間を過ごしたここともお別れです。北の空に光る稲光に見送られてこの地を去ります。
地元のボランティアの人たちの協力もあり「快適」に過ごせました。良い思い出をありがとう。



P50_20090722_231512 フェリー乗船
23時名瀬港に到着したA”LINEの「あけぼの」に乗船(8083トン、全長145m、幅24m)。
既設の2等和室が割り当てられています。一人一人が仕切りの中に頭を突っ込んでなんとなくプライベートが感じられる仕組み。往路のクイーンコーラル8と比べれば天国です。


P50_20090723_000106 さらば奄美大島
深夜0:00、時刻通り名瀬港を出港しました。
出港して10分ほど進むと遠くなった港の光をかき消すように雷雲帯に突入して波風雨雷光が激しくなったのでおとなしく就寝しました。

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