2015年2月28日 (土)
2015年2月27日 (金)
拓郎の「COMPLETE TAKURO TOUR 1979」CDが届きました。 24日の事件のあと帰宅して夕食を食べてもモヤモヤが治まらず、かねてから購入を検討していたこのCDを購入するのは今しかないと決意しインターネットで注文していたのでした。 COMPLETE TAKURO TOUR 1979(写真上) 1979年発売の2枚組LP「TAKURO TOUR 1979」(写真下)と「TOUR 1979 Vol.2落陽」は持っています。発売からもう36年経つのですね。当時4500円を捻出するのは大変でした。バイトもできない貧乏な高校時代です。昼食代に親から1日300円貰い、そのうちの100円であんぱんと牛乳だけで我慢し200円を貯め続け、週に1000円(土曜日は午前中だけだったので300円の支給は無し)。友人との付き合いも適当にごまかして1か月以上かけて予算を達成し市内のレコード屋に走ったのでした。自転車の片手運転でレコードを抱えて帰りさっそく拝聴したのです。 自分の持っていたオーディオ機器は英会話学習用という嘘丸出しのラジカセだけでステレオなどありません。ではどうしたのか。 当時大学生だった兄が自室に持っていたステレオを使うのです。 兄が留守の間に部屋に忍び込みます(当時の農家の家で部屋に鍵などあるはずもなく、大学生というものは帰宅が遅い)。なぜ素直に貸してくれと言えなかったのか当時の心境は自分でもわからなくなっています。知らぬ間に操作を覚えたステレオの電源を入れ、ジャケットから引っ張り出したレコードのA面を上にしてターンテーブルの上にそっと置き、ヘッドフォンをかぶり、一発勝負のカセットテープへのダビング準備をして針をレコードに落としました。 耳に飛び込んできたのはフェードインしてくるオープニングの「ローリング30」から「知識」のイントロが始まると唸るようなファンの歓声、そして拓郎の恐れを知らぬパワフルな歌声・・・。あんぱんと牛乳だけの100円昼食生活が報われた瞬間でした。 普通はレコードが擦り切れるほど聞くと言われますが、僕の場合はテープが伸びるほど聞きました。英会話学習用ラジカセからは大概拓郎の歌が・・・。なのでこのレコードはそのダビング以降は眺めて楽しむものとなりました。レコード時代はジャケットも歌詞カードもブックレットも大きく良かったですなぁ。当時テレビにも出ずコンサートにも行けない僕が見ることのできた拓郎の姿はこれが全てなのでした。しかしラジカセというものはスピーカー1つしかないのでせっかくのステレオがモノラルになっちゃうんですよね。夜は静かに片耳イヤフォンですからダビングのときに聞いたヘッドフォンからのサウンドからは遠い遠い。 僕が自分のステレオを手に入れたのは社会人になって羽生を離れた3年目の冬のボーナスの頃でした。実に8年の月日が経過してようやくこのレコードに2度目の針を落とすことができました。しかしそれ以降このレコードを聴いたのは5回もないはずです。 「COMPLETE TAKURO TOUR 1979」はLP「TAKURO TOUR 1979」と「TOUR 1979 Vol.2落陽」を合わせて収録したものなので”COMPLETE”と付けていますが、”青山徹だぁー!”、”松任谷だッ、松任谷だー!”の叫び声の入っている「ペニーレインでバーボンを」がカットされているため”COMPLETE”ではありません。 さっそくCDから音源をパソコンでmp3に変換してICレコーダーにコピー。レコード時代はカセットテープへのダビングにリアルな時間がかかりましたがmp3化はあっという間。ICレコーダーに入れてしまったらCDで聞くこともほとんどないでしょう。 じゃあ何でレコード持ってるのにCD買ったのか という問いには 36年前のカセットテープはすでにジャムって捨ててしまいレコードプレーヤーは壊れたままになっているからこのライブアルバムを15年以上聞いていない という答えなのです。 なお、「ペニーレインでバーボンを」のデジタル音源はレーザーディスク(これも今は再生不能)の吉田拓郎’79篠島LIVEアイランドコンサートから既に落としてあるので今回の音源に合体させて”COMPLETE”版の完成です。
元気出たかな。
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2015年2月25日 (水)
通勤電車じゃ座らないぜ! と宣言してから長い月日が流れ、つり革手すりに頼 ることなく立ってバランスを保ちながら本を読んで通勤しているうちに踏ん張る 力が身についてきました。 2月24日、その日僕は午後からの細かい作業で目をヤラレてしまったため、いつ もより早めの17:40頃に会社を出て帰宅の途に着いたのでした。 新宿から小田急線急行に乗るときも、列に並んで座って帰るようなことはしませ ん。いつも通り先発の電車に乗り込みます。車内は出発時刻に近かったため、す でにつり革もいっぱいで掴まるところがありません(いつものことです)。この 先の混雑を予想して通路の奥、ドアとドアの通路の中間点付近にスタンディング ポジションを固定し本を読みはじめました。今読んでいるのは「働くアリに幸せ を」という進化生物学者が書いた本です。アリは人間と同様に社会性を持った生 き物で集団で・・・本の内容は今回の事件とは無関係なので先へ進みます。 急行電車は新宿を出発すると5分ほどで代々木上原駅に到着します。ここで地下 鉄千代田線が連絡しており、大手町方面からの帰宅客がドッと乗り込んできます。 新宿からの乗車率が倍になるくらいです。 この時の電車はタイミング悪く2本分の千代田線の乗客が乗り換えてきて満員と なり、ドアとドアの中間点にいる僕の両側も左右から人が詰まってきて隣の人と 常に触れ合う状態でした。 次は3分ほどで下北沢です。駅に停車するための減速時に事件は起こりました。 減速時は進行方向に力が加わるため僕の左側から人の圧力がかかり始めます。隣 の女性も掴まるところが無いようで体重の半分以上をこちらにかけてきています。 ホーム停止前が一番きつくなるところです。最後は右足一本徳俵にかけて強烈な 押しをしのぎ雪崩れるのを食い止め駅に停車。こらえ切れたことは普段の訓練の たまものじゃと満足感に浸りホッと一息ついて体勢を戻すべく左に押しました。 と、そのとき左側(僕に圧力を加えてきていた方)の女性から声がかかったので す。 「もっと奥に詰めろよ!」(なに?何?、これが会社勤めしている社会人の見ず 知らずの人に話しかける言葉か?)といきなり怒られました。もっと奥?僕はド アとドア通路の真ん中の一番奥に初めからいるのですが。 「右側もいっぱいですよ。」(紳士風~)と答えると、女性は私が詫びることを 期待していたのか態度を急速に台風並みに悪化させて吐いたセリフ。 「ジジイのくせに満員電車の乗り方くらい知らないのかよ!。だったら降りろよ !」(ウ~ム、最大瞬間風速70mくらいか?、停車時の押しよりも強烈。) 理解不能でした。 満員電車の乗り方とは体勢が崩れた時に相手に体重をかけて我が身を守ることな のか? そういうことができないなら電車に乗る資格が無く降りなければいけないのか? 女性が雪崩れてきているのを必死に食い止めたというのに? その当人から鬼のように怒られ、降りろと命令されるとは!! ”ジジイ”は事実かもしれないので仕方ないとしても。 女性と口で争っても勝てないのは世の常と遠藤周作氏の本で読んだような気がし たので、僕は反論したいところをグッとこらえました(精神的にはよろしくない ですが社会的にはよろしい?)。幸い駅で電車を降りる人がいて右にわずかな空 間ができたので僕はスッと身を引くことができました。 僕が体と言葉を引いたおかげでそのあと二人の関係は発展することなくこの件は それで終了となりました。ほんの10秒くらいのことでした。 もし電車内に行司がいてこの件を裁くとすれば、間違いなく徳俵でふんばった僕 に軍配があがったでしょう。よしんば女性びいきの行司で女性に軍配をあげたと しても、土俵下の5人の審判は黙って見逃すことなくサッと物言いの手が上がり、 協議の結果は全員一致で行司差違えで僕の勝ちとなるはず。 僕は手刀を切って懸賞金の束をわしづかみにして颯爽と花道を引き揚げ、途中多 くのファンからは肩をぽんぽん叩かれて「良く堪えたぞー!!」「いいぞーしい たけー!」と熱い声援を浴びていたはずです。 さらに重圧に耐えた僕の踏ん張りとお客様同士のトラブルによる電車遅延という 間抜けな理由の電車遅れを未然に防いだ僕の対応は「敢闘賞」「技能賞」候補に ダブルノミネートされていたことでしょう。 現代の都会の女性は見ず知らずの人に向かってこれくらいの啖呵をスラッと吐け ないと生きていけないのでしょうか。それとも彼女は厳しい逆境の中で生活して いるうちに身についてしまったものなのでしょうか。そうさせてしまった社会に 問題があるのか・・・。深く考えさせられたのでした。 僕としては助けた相手から罵られたという感覚なので、彼女から放たれた言葉は たった二言だけでしたがココロに突き刺さったまま傷だらけで帰宅したのでした。 今でもその言葉が刺さったままのようで、時々チクチクとココロが痛み、そのた びにあの時の情景が甦ってくるのです。行司さえいてくれたら・・・。 吉田拓郎 「流星」より たとえば僕が まちがっていても 正直だった 悲しさが あるから・・・流れていく 静けさにまさる 強さは無くて 言葉の中では 何を 待てばいい・・・流れていく
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2015年2月21日 (土)
2015年2月19日 (木)
2015/01/30に受けた人間ドックの結果が届きました。 受診した日は休暇を取って自転車で病院へ行く予定だったのに、昨年に続いて朝から雪降りの天気で自転車は断念しました。 カッコ内は前2年間の値。 ①体重 :62.2kg (64.7kg) (64.9kg) ②身長 :175.0cm (174.8cm) (175.7cm) ③BMI :20.3 (21.2) (21.0) ④視力(左-右) :0.5-0.2 (0.3-0.4) (0.5-0.5) 体重を計るのも1年ぶりですが62kg台であったとは意外でした。まだまだ痩せるわけにはいきません。1月はみかんの代わりにリンゴを食べていたのが影響しているかもしれません。 視力は悪くなる一方です。左目は何とか前回値をキープですが右目は0.2まで低下。視力1.0というのは角度の1度の60分の1である1分角を分離する能力だそうで、昔、オタマのような眼隠しで片目隠して壁の検査表のCの切れ目の方向を言い当てる(2.0を叩き出すには全身のカンを総動員)方式でしたが、5m先にある直径7.272mmの円に1.454mmの切れ目が入っている方向が見えるとそれが視力1.0なのだそうです。視力0.2は1.0と比べて分解能が5倍も悪いということなので1mまで近寄らないと識別できないのですね。まぁ自転車は両目で見ながら走るので昼間なら大丈夫ですが、やっぱり夜間走行は危険です。なので僕はいつも日没前に帰還するようにしているのです。
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2015年2月15日 (日)
2015年2月14日 (土)
2015年2月11日 (水)
2015年2月 8日 (日)
6:30起床。雲の多い朝ですが一部に隙間もあって時々朝日がこぼれてきたりしています。しかしこの後雨となるらしいのでその前に軽く走っておくことにします。 8:10出発~多摩川CRで立川折り返し~10:00帰宅。 雨は11時半頃から降り始めて15時頃に止みました。15時半には日差しも戻って来て、大変キレの良い好ましい雨の止み方でした。しかしいくら晴れてきても低い気温で路面は乾きそうもなく今日は終了です。好ましさを感じさせてくれたものの日中のおいしい時間帯を全て持っていかれてしまったわけでロクな天気ではありませんでした。 この場合の「ロク」とは「陸」と書くそうで、正常なこと、まともなこと、満足できる状態であることの意味を持ち、後ろに打ち消しの言葉を伴って否定的に使用される形容動詞だそうです。 「ロクな天気ではありませんでした」の短い文の行間には「せっかくの日曜日、昨日に続いていっぱい走ろうと思っていたのに、よりによって日中時間帯に雨に降られてほとんど走れなかった。部屋に戻っても日差しが無いので寒い一日だったし、全然満足できる天気ではなかった。」の意味が込められているのです。 走行時間:1h45m、距離:38.4km、AV.22.0km/h
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2015年2月 7日 (土)
6:30起床。晴れていますが南の空にキレの悪い雲があり広がり始めています。立春を過ぎましたがまだ2月上旬。季節をひっくり返した8月上旬であれば暑さはこれからという感じですから2月は寒いものと決めてかかっておいた方が精神的に楽です。それでも梅の花が咲いたりモクレンの毛に覆われた花芽がちょっとづつ膨らんでくるのが目に入ると秋の始まりとは異なり春の始まりというものをジワリと感じることができます。 今日のコース 先週は強い北風で意気地なく税務署への走行だけで終わってしまったので走らねばなりません。今日は強い北風も収まり日中は南寄りの風も期待できるので湘南方面に向かいました。 8:10出発。多摩川CR~浅川CR~町田街道~県48~昭和橋~相模川左岸沿い~厚木~県43~県45沿い~県47~茅ヶ崎里山公園 茅ヶ崎里山公園 茅ヶ崎といえば海のイメージですがR1の北側には相模原の台地の末端が到達して小河川により谷地形が開析され里山地形が存在します。走る方向によってはアップダウンを強いられます。そんな地形を利用して県立の公園があったのでトイレを利用させてもらいました。 ~県47~引地川沿い~県43~R467~遊行寺~境川CR~県57~野津田~都18~川崎街道~府中四谷橋~多摩川CRで16:40帰宅。 結局海岸に出る前に時間切れで江の島6kmの表示を見たところで帰途に着きました。雲の多い一日でしたが風は弱く走るには快適でした。 走行時間:7h30m、距離:161.6km、AV.21.5km/h
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