TAKURO LIVE 1979のCDの話
拓郎の「COMPLETE TAKURO TOUR 1979」CDが届きました。
24日の事件のあと帰宅して夕食を食べてもモヤモヤが治まらず、かねてから購入を検討していたこのCDを購入するのは今しかないと決意しインターネットで注文していたのでした。
COMPLETE TAKURO TOUR 1979(写真上)
1979年発売の2枚組LP「TAKURO TOUR 1979」(写真下)と「TOUR 1979 Vol.2落陽」は持っています。発売からもう36年経つのですね。当時4500円を捻出するのは大変でした。バイトもできない貧乏な高校時代です。昼食代に親から1日300円貰い、そのうちの100円であんぱんと牛乳だけで我慢し200円を貯め続け、週に1000円(土曜日は午前中だけだったので300円の支給は無し)。友人との付き合いも適当にごまかして1か月以上かけて予算を達成し市内のレコード屋に走ったのでした。自転車の片手運転でレコードを抱えて帰りさっそく拝聴したのです。
自分の持っていたオーディオ機器は英会話学習用という嘘丸出しのラジカセだけでステレオなどありません。ではどうしたのか。
当時大学生だった兄が自室に持っていたステレオを使うのです。
兄が留守の間に部屋に忍び込みます(当時の農家の家で部屋に鍵などあるはずもなく、大学生というものは帰宅が遅い)。なぜ素直に貸してくれと言えなかったのか当時の心境は自分でもわからなくなっています。知らぬ間に操作を覚えたステレオの電源を入れ、ジャケットから引っ張り出したレコードのA面を上にしてターンテーブルの上にそっと置き、ヘッドフォンをかぶり、一発勝負のカセットテープへのダビング準備をして針をレコードに落としました。
耳に飛び込んできたのはフェードインしてくるオープニングの「ローリング30」から「知識」のイントロが始まると唸るようなファンの歓声、そして拓郎の恐れを知らぬパワフルな歌声・・・。あんぱんと牛乳だけの100円昼食生活が報われた瞬間でした。
普通はレコードが擦り切れるほど聞くと言われますが、僕の場合はテープが伸びるほど聞きました。英会話学習用ラジカセからは大概拓郎の歌が・・・。なのでこのレコードはそのダビング以降は眺めて楽しむものとなりました。レコード時代はジャケットも歌詞カードもブックレットも大きく良かったですなぁ。当時テレビにも出ずコンサートにも行けない僕が見ることのできた拓郎の姿はこれが全てなのでした。しかしラジカセというものはスピーカー1つしかないのでせっかくのステレオがモノラルになっちゃうんですよね。夜は静かに片耳イヤフォンですからダビングのときに聞いたヘッドフォンからのサウンドからは遠い遠い。
僕が自分のステレオを手に入れたのは社会人になって羽生を離れた3年目の冬のボーナスの頃でした。実に8年の月日が経過してようやくこのレコードに2度目の針を落とすことができました。しかしそれ以降このレコードを聴いたのは5回もないはずです。
「COMPLETE TAKURO TOUR 1979」はLP「TAKURO TOUR 1979」と「TOUR 1979 Vol.2落陽」を合わせて収録したものなので”COMPLETE”と付けていますが、”青山徹だぁー!”、”松任谷だッ、松任谷だー!”の叫び声の入っている「ペニーレインでバーボンを」がカットされているため”COMPLETE”ではありません。
さっそくCDから音源をパソコンでmp3に変換してICレコーダーにコピー。レコード時代はカセットテープへのダビングにリアルな時間がかかりましたがmp3化はあっという間。ICレコーダーに入れてしまったらCDで聞くこともほとんどないでしょう。
じゃあ何でレコード持ってるのにCD買ったのか という問いには 36年前のカセットテープはすでにジャムって捨ててしまいレコードプレーヤーは壊れたままになっているからこのライブアルバムを15年以上聞いていない という答えなのです。
なお、「ペニーレインでバーボンを」のデジタル音源はレーザーディスク(これも今は再生不能)の吉田拓郎’79篠島LIVEアイランドコンサートから既に落としてあるので今回の音源に合体させて”COMPLETE”版の完成です。
元気出たかな。
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