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2016年3月12日 (土)

ジャカルタに向かう

3月6日(日)
5:50起床。曇っています。でも今日は天気は関係ありません。これからインドネシア日食ツアーに出発です。今回の旅の目的は単純で2009年奄美皆既日食のリベンジで「死ぬまでに一度は皆既日食をこの目で見ること」の実現ただ一つです。
荷造りは持ち物リストに沿ってスーツケース(今回Amazonで購入)とウェストバッグ(いつも自転車に乗っているとき腰に着けている奴)に押し込んで前日までに終えてあります。でも長期(といっても1週間程度ですが)の自転車ツーリングに出発するときに感じる「何か忘れものがあるんじゃないか」という強迫観念が今回も襲ってきました。日食を見るのに必要な日食メガネ、双眼鏡、デジカメ、旅に必要なパスポート、現金、クレジットカードは前日2回も確認してあるので間違いなし。パンツが無かったら現地で買えば良いだけです。
Map20160306今日のコース
今日は羽田からインドネシアの首都ジャカルタまで飛んで空港近くのホテルで宿泊。移動だけの1日です。





7:40自宅出発
直前に電車の運行状況で遅延の無いことを確認して玄関に鍵をかけて駅に向かってスーツケースをゴロゴロ引きながら歩き始めました。キャリーバー、キャスター付きのスーツケースを運用するのは今回が初めて。いつも駅の構内で邪魔な持ち方をしている人に出くわす経験から自分は「あんな迷惑な持ち方はしないぜ」と意識しつつ駅までの道すがらバーの長さや持ち方など"車両感覚"を訓練しました。
幸い今日は日曜日で朝早いので電車も混雑は無く、階段、エスカレータ乗り降り、電車の中のポジションなど良いOJTができました。機内持ち込みサイズのスーツケースは取り回しが楽ですね。そもそも駅構内でスーツケースを引いている人を邪魔だなぁと感じるのはその人の歩く速度が遅いからなのではと考え、普段の通勤時の早歩きを心掛けました。一般の人より早く歩けば後ろの人にとって邪魔な存在ではなくなるわけですよね。
もちろん電車のシートに空きがあってもいつものように立ったままです。
8:40羽田国際線ターミナル着
P50_20160306_084714自転車旅で満足している僕は国際線は初めて。待ち合わせ時間までウロウロしてみました。通貨の両替所の長蛇の列を見て、あらかじめ交換しておいて正解だったなぁとその時は感じましたがジャカルタに到着後ガッカリすることになります。
間もなく2009年の奄美日食に同行し共に悔し涙を流した消防団副団長トシユキ氏と合流。ツアーの受け付けカウンターでe-チケットを受け取りチェックインカウンターで航空券に交換。窓側の席をリクエストしましたが既に無く、中央4席の内側2席となりました。
搭乗機はガルーダインドネシア航空875便、羽田11:45発⇒ジャカルタ19:10着の予定です。
Garuda「ガルーダ」というのはインド神話の伝説の鳥の名前でインドネシアの国章にもデザインされています。
この便には他の日食ツアーの団体も複数利用していたようで日本人客7割合以上で満席でした。思い起こせば前回飛行機に乗ったのは2009年の奄美日食からの帰路、宮崎-羽田間を飛んで以来です。あの時羽田で再起を誓い合ったトシユキ氏と再びここで合流してインドネシア日食に向かう。う~ん、旅は繋がっているのです。

11:45羽田空港離陸
窓から外を見る楽しみが失われていたので、シートのモニターで飛行経路情報を見ていました。この日は日本海低気圧と沖縄付近に前線と低気圧があり上空は強い南西風となっていました。
13:40頃大東島あたり高度11000mでは200km/hの向い風です。対気速度864km/hで飛行しているのに200km/h押し戻されて対地速度は664km/h。離陸後ずっとシートベルトサインは消えず機体は揺れ続けました。機内サービスの昼食が提供されたのはさらに南下して安定した14:40頃でした。和食とインドネシア料理の選択でドメスティックな僕は和食とオレンジジュース、旅慣れたビジネスマン、トシユキ氏はインドネシア料理とワインでした。
16:00フィリピン上空
P50_20160306_160218エコノミークラスの真ん中の席でトイレに立つには通路側の人の協力が必要なわけです。我慢強い僕も食事を取ってジュースやコーヒーや水(ミネラルウォーターのペットボトルがシートに備えられていた)を飲めばおトイレに行きたくなるわけです。血行を良くするためにも歩くことにして機体後尾のトイレへ。トイレの脇に小さな丸窓があったのでそこから外を撮影してみました。良く晴れ渡りフィリピンの島影らしき上空に雲がわいているのが見えます。かつて零戦や一式陸攻が飛んだ空です。すぐ横では数人のインドネシア人キャビンアテンダントが休憩中で何やらモシャモシャと食べていました。目が合ったらニヤッと微笑まれました。どういう意味だろう?
18:10赤道通過
P50_20160306_181459緯度が下がるにつれ向かい風は追い風に変わり遅れを取り戻しつつ安定した飛行が続きます。機はボルネオ島上空で北半球から赤道を越えて南半球に入ります。シートのモニターで0.00度の写真を撮りたかったのですが自動的に切り替わる地図と緯度表示の組み合わせがなかなか起こらず撮影したときには南半球に入り込んだ後でした。画面を好きなモードで固定できるようにしてほしいなぁ。でもこんな写真撮りたがるのは僕だけだろうけど。

19:45、日没前のジャカルタ、スカルノ・ハッタ国際空港着陸
東経107度なので西に30度以上移動したので日没も2時間ほど遅くなりました。途中の向かい風で遅れた分は全てを取り返せず30分遅れの正味8時間のフライトでした。飛行機はスポットに着くのかと思いきや、国際線なのに駐機場に止りそこからターミナルまでバス移動でした。やれやれ。遅れた分スポットを他の機に取られたのかもしれません。
到着ゲートの前で羽田から参加したツアー全員が初めて顔合せ。総勢23名に添乗員1名でした。
入国審査では何も悪いことをしていないのに何か聞かれるかと緊張していましたが、何も会話は無くパスポートに簡単にポンとはんこを押されて解放されました。持ち込み荷物も申告の必要の無いものなので税関はスルッと通過。晴れてインドネシアに入国です。かたまりだった日本人も各ツアーごとに添乗員に誘導されて次の目的地に向けばらけてゆきました。健闘を祈るって感じです。
P50_20160306_203734疲れた体に誘惑的な甘いメイプルシロップの香りを漂わせていたRoti'Oというパン屋?さん。すぐ移動だったので買えず。
空港内も何となく蒸し暑かったですがターミナルから外に出るとムッとする熱気に包まれました。「東京の猛暑日だった夕方の風の無い状態に加湿器で湿度を上げた状態」といったところでしょうか。


20:50空港内で手荷物受け取りや行方不明者発生で時間を取られながらもようやくツアー専用バスで空港近くのホテルへ移動。バスの乗降口は進行方向左側でした。ということはこの国は日本と同じ左側通行だったのです。バスの中では何と現地ツアーガイドの人から円をルピアに両替してくれるサービスがありました。しかもレートが1万円で100万ルピア。僕が新宿で両替したのは10480円で80万ルピア。一人心の中で「エーッ!!」と叫んでいたのでした。出発前に知らせておいてほしかったなぁ。

21:30からホテルのレストランでビュッフェ形式の夕食。アルコール類は別料金ですが飲めない僕には関係ありません。トシユキ氏はビールを1本注文。80000ルピアくらいだったかな。ルピアから円に換算するのに100分の1で計算すると800円ということになり国内よりずっと高いと思う。食べた物は写真には取りませんでしたがざっと思い出すと
・ナシゴレン(チャーハンみたいなもの。長粒米使用)
・ミーゴレン(インスタントラーメンの麺を焼きソバにしたみたいなもの)
・焼き鳥(竹串で焼いてタレがかかっておりウマかった。サテというらしい)
・魚のから揚げ(魚の種類は不明、骨抜きしてあった)
・骨付き鳥の揚げ物(肉はやや硬め、肉が骨から分離しにくく前歯が刺歯の人は危険)
・コーンポタージュスープ(国内と同じ)
・カットフルーツ(スイカ、メロン、マンゴー 全般的に糖度は低く水っぽく薄味。日本国内で栽培されたものの方がよっぽど糖度が高くおいしいと思う。バナナとかパイナップルなどは無かった)
・何かのゼリー(ゼラチン質が固め)
生野菜は少なめでした。
エアコンが効いているものの食事中汗が噴き出すのを止めることはできませんでした。
P50_20160306_230954疲れて倒れ込むしいたけ
部屋に戻りシャワーを浴びてサッパリしたら23時過ぎ。もう疲れてしまってすぐに寝てしまいました。





ここでの時刻表記はすべて日本時間としました(デジカメの写真の時刻が日本時間のため)。日本との時差はジャカルタは‐2時間、目的地スラウェシ島パルは-1時間です。

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